タイトル: ネヴィル・チェンバレン(英)
SEOタイトル: HOI4 チェンバレン|英首相 1940 以前、宥和政策

| この記事の要点 |
|---|
|
経歴
1869 年バーミンガム生まれ、製造業者の息子でジョセフ・チェンバレン(植民地相)の次男・サー・オースティン・チェンバレン(外相)の異母弟。バーミンガム市長を経て 1918 下院議員、内務相・蔵相を歴任、1937-05 ボールドウィン首相退陣で首相に。融和政策(Appeasement)で独・伊との対決を避け、1938-09 ミュンヘン会談でズデーテン地方の対独割譲を承認し「我が時代の平和」を持ち帰る。1939-03 のチェコスロバキア完全占領で融和政策破綻、9 月のポーランド侵攻で対独宣戦するも本格戦闘なし(Phoney War)。1940-04-09 ノルウェー戦で独軍に出し抜かれ、5 月にノルウェー討論で議会の信認失い辞任。チャーチル内閣で枢密院議長 → 11 月にガンで死去。
WW2 での役割
- 1938-09 ミュンヘン会談(ズデーテン割譲承認)
- 1939-03 チェコスロバキア占領で融和破綻
- 1939-09-03 対独宣戦布告
- 1939-1940 Phoney War(消極戦争)
- 1940-04 ノルウェー戦失敗
- 1940-05-10 辞任、チャーチル後任
- 1940-11-09 死去
HOI4 での扱い
英の初期国家指導者(民主主義)。融和派の特徴が反映:
- 戦争目的の正当化時間 +30%(融和ペナルティ)
- 陸軍経験値獲得 −
- 政治力獲得 −
- 動員速度ペナルティ
ヒストリカル進行で 1940-05 のフォーカス or イベントでチャーチルに交代。非ヒストリカルではモズリー(ファシスト)・モーリス(共産主義)・エドワード 8 世復辟など他ルートあり。
チェンバレン在任中は 戦時動員ができないのが英プレイの最大の弱点。最低でも 1939 までに「再軍備加速」フォーカスを取得、1940-05 のチャーチル交代を待つ。
関連記事
HOI4 での戦術活用 Tips
HOI4 英プレイでチェンバレン下では 戦時動員不可・軍備拡張遅延のペナルティ。最低でも 1939-09 開戦と同時に「チャーチル交代」or「再軍備加速」フォーカスを取得することが急務。1940-05 のノルウェー失敗イベントを待たずに自主交代するルートもある。
逸話・名言
1938-09-30 ミュンヘン会談から帰国し空港で振った紙片「私は名誉ある平和を持ち帰った、我が時代の平和を」は、半年後にヒトラーがチェコを完全占領したことで歴史的皮肉として記憶されることに。1940-05 辞任後はチャーチル内閣で枢密院議長を務めるも、11 月にガンで死去(71 歳)。
同時代の他人物との比較
チェンバレン vs チャーチル: 戦間期の保守党内で対独政策を巡る対立。チャーチル の主張通り、独の再軍備を放置した結果として WW2 が勃発した、というのが戦後評価。融和派は「臆病者」のレッテルが貼られました。
チェンバレン vs ヒトラー: 1938 ミュンヘン会談で 4 度ヒトラーと面会、「我が時代の平和」を獲得したと信じて帰国するもわずか半年でチェコ占領され裏切られました。