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更新日時:2026-05-14 19:49:15

タイトル: ヴャチェスラフ・モロトフ(ソ)
SEOタイトル: HOI4 モロトフ|ソ連外相、独ソ不可侵条約

ヴャチェスラフ・モロトフ
ヴャチェスラフ・モロトフ
Vyacheslav Molotov · ソ連外相(1939-1949, 1953-1956)
1890-03-09 〜 1986-11-08
HOI4 ではソ連の政治顧問・外相

 

この記事の要点
  • 1939-08-23 独ソ不可侵条約調印(モロトフ=リッベントロップ条約)
  • 1941-06 対独宣戦放送「我らの勝利は必然」
  • スターリンの右腕として1939-1949 / 1953-1956 外相を 2 度
  • 「モロトフ・カクテル」(火炎瓶)の語源、フィンランド側の皮肉から

 

経歴

1890 年ヴャトカ県(現キーロフ州)生まれ、本名スクリャービン(作曲家スクリャービンの遠縁)。1906 ボリシェヴィキ入党、ペテルブルクで革命運動、革命後は中央委員会書記としてレーニン・スターリン側近。1930-1941 人民委員会議長(事実上の首相)。1939-05 外相就任、独ソ不可侵条約調印で世界を驚かせる。1941-06-22 バルバロッサ開戦直後にラジオで対独宣戦放送、「我らの大義は正しく、敵は粉砕される」。テヘラン・ヤルタ会談で外交を担い、戦後は冷戦外交の主役。1949 一時失脚するも 1953 スターリン死後復職、1956 フルシチョフのスターリン批判(反スターリン化)に反対し失脚。1986 死去(96 歳)。

WW2 での役割

  • 1939-08-23 独ソ不可侵条約調印(リッベントロップとモスクワで)
  • 1939-11 冬戦争(フィンランド)の外交責任者
  • 1941-06 対独宣戦放送
  • 1942-05 英米訪問(武器援助交渉)
  • 1943-10 モスクワ外相会議
  • 1943-11 テヘラン会談随伴
  • 1945-02 ヤルタ会談随伴
  • 1945-04 サンフランシスコ会議(国連設立)

HOI4 での扱い

ソ連の政治顧問・外相として登場します:

  • 政治顧問「Стальной Молотов」: 政治力獲得 +ボーナス
  • 研究時間ボーナス(外交関連)
  • 戦争目的正当化時間 −
  • 「モロトフ=リッベントロップ条約」フォーカスのトリガー
📌 補足
モロトフ・カクテル」(火炎瓶)の名前は、冬戦争でモロトフがフィンランド爆撃を「パンの空中投下」と説明したことを、フィンランド側が皮肉ったもの。「ソ連が酒を寄越したからカクテルを返す」というわけ。

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